集団ストーカーは終了しました

終わり。
集団ストーカーは、終了しました。

今後この集団ストーカーという犯罪は、公になることは一切無いでしょう。今回の淡路の事件でも証明されました。

・大新聞5社の記事には「集団ストーカー」の文言は一切無し。
・民放キー局全ての報道に於いても「集団ストーカー」の発言及び表現・記載等一切無し。

ただ、web上の新聞社記事では、読売及び産経が「集団ストーカー」なる文字を見出しとして記述していた。これが少々気になる。が、リアルの新聞紙面上には全く表現・記載など無し。

色々と思うところもあり、また書きたいことも色々とあるのではあるが、ただ言えることは、

集団ストーカー被害者は、「普通」に「毅然」と「堂々」としていれば良いということである。

結局、集団ストーカーは「無いことにされる」のである。

だから、集スト被害者は、何をされても何を言われても何がどういう状況に追い込まれようと、少なくとも最低限は法に則って日々の生活を送ればよいのだ。要するに普通にしていれば良いのである。

今回の事件の被害者は、大津の被害者とは違い、web盗聴や執拗な付き纏いや、他人が知る由も無い個人情報の暴露といった真の意味での集団ストーカー、云わば人為的集団ストーカー被害者ではなく、現象被害に陥っていた被害者であったにもかかわらず、やはり表には出てこないのだ。

集団ストーカーは、表に出ることは絶対に無い。
出されたら非常に困るのだ。
散々加害行為に及んでおきながら、今更になってその火消しに躍起になって心底困り果てているのが加害者の現状なのである。

随分前にも書いたが、被害者の個人に関する何かを仄めかされた所で、「どうしてそれ知ってんの?」などと加害者に問い質した所で、何一つ言えないのが加害者なのである。何をどうすることもできない、ただ犯罪行為を犯して他人のプライバシーを覗き見して、在る事無い事他人に吹聴して回るストーカーであることを暴露されることこそが加害者の最大の痛手であることを改めて認識させて頂いた次第である。




淡路の事件で殺害された「被害者」の皆々様方には心からご冥福とお祈りを申し上げさせて頂きます。ただ、恐縮ではございますが、勝手ながら私見を申し述べさせて頂きますと、今回の事件の犯行に及んだ犯人である「加害者」は、恐らく「現象被害」を相当なる長期間に渡って受け続けた云わば「被害者」であろうと思われ、その現象被害の本質を知らず、対処方法を誤り、更には自らを「被害者」だと思い込んでしまった挙句に、最終的にあのような凄惨な事件に及んだものと思われます。

ただ、残念なことに彼には殺意はあっても、恐らく悪意は無い。

従って、そのような人間をどのように罰すれば良いのかは国の判断に委ねるしか術は無いのですが、一集団ストーカー被害者として、特に現象被害の本質を知る者としては、心が痛むばかりで他に言葉が見つかりません。