パクられた?

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1838885.html

【節電】 朝日新聞おばさん「冷蔵庫の電源を抜くことで、仏の境地が見えた」
1 名前: エクスプロイダー(千葉県)@\(^o^)/:2015/05/03(日) 00:43:44.41 id:EU7ywiNR0.net

1日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、朝日新聞編集委員の稲垣えみ子氏が冷蔵庫に頼らない生活の魅力と発見を語った。番組中盤では、朝日新聞が掲載した稲垣氏のコラム「アンプラグド 冷蔵庫が導く仏の境地」が紹介された。

稲垣氏は東京電力福島第一原発の事故をきっかけに、節電のために様々な家電製品を手放してきた。ところが昨年、彼女は誤ってオール電化住宅に転居してしまったそうで、コラムではそれを機についに冷蔵庫の使用までも止めてしまった生活に対する心境を綴っている。
http://news.livedoor.com/article/detail/10072669/

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いや、別段上記記事については、特に何も無いわけであるが、というか、来たるべき金融崩壊の日に向けて、電気を使用せずとも生きて行くことができる術を身に付けることは良いことだと思うし、私も是非とも参考にさせて頂きたく、しかし、冷蔵庫が無いのは、やはりそれは辛いでしょと。ハタチの頃、一人暮らしを始めて、冷蔵庫無しでも十分やって行けると思い込んで買わずにいたら、ニラが2日で腐ったからね。慌てて冷蔵庫を買いに行った、あの頃の苦い思い出・・・

つーか、そういうことじゃなくてですね・・・

http://livedoor.4.blogimg.jp/dqnplus/imgs/c/3/c300d6be.png

※以下一部抜粋
人間の苦しみの根源をみつめつづけた仏陀(ぶっだ)も「今、ここに生きよ」と言っている。
人はたえず過去を後悔し、未来に心を悩ませる。だが、過去も未来もしょせんコントロールできないものだ。そんなことに悩んでいるから人生は苦しい。そんなヒマがあったら、今を真剣に生きよ。

これ、私がずいぶん前に書いた相対性理論 - 【再生】集団ストーカーと三島の記録の最後の部分に似てないか? え!? つーか、ブッダが私をパクった? んなアホな。つーか、逆に私はブッダなんかパクってませんよ。つーか、高卒無教養の私が、ブッダなんか知らないし。何だか偉い人なのは知ってますよ。3歳でお経を読んだとか何とか。つーか、このブログはどっかのハゲのおっさんがテキトーに何か色々書いているだけなので、つーか、集団ストーカー被害者として、真剣に、それこそ本当に真剣に全力で書いているブログだったりするわけだけれども、この小柳トムの頭に良く似た女性が本当にパクったのかどうかはともかくとして、実に良く似た内容のことを書くということは、どれだけ周囲に影響を及ぼしているテレビにも出るようなコラムを記載する大作家先生様と良く似た内容のことを書くということは、なんつーか、私もまんざらではないのかと。

ギャハハ!!

んなアホな。

つーかですね、いや、私だって慎ましく生きて行きたいと思っておりますよ、勿論。だけど周りが放って置かないんだから仕方が無い。いや、私だってイヤでイヤでしょうがないんですよ、当然。でも周りが勝手に私に構うものだから仕方が無い。そりゃ私如きの行動次第で周囲に多大なる影響を日々与え続けているなんて思ってもいませんよ、勿論。でも周りが色々と仕掛けてくるんだから仕方が無い。

ギャハハ!!

しかし、まぁ実際、私も大作家先生程では無いにしても、集団ストーカー被害者として周囲に多大なる影響を与えていることは確か・・・かもね。

ギャハハ!!

時代は変わった・・・ のか?

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1838868.html

めいろま 「小学生の時うちをバカにした同級生達は全員高卒で非正規。みな独身で親と同居」
1 名前: グロリア(広島県)@\(^o^)/:2015/05/03(日) 00:33:08.58 id:wZZSeOk80.net

小学生の時うちにはファミコンがなく、あったのはNECの880MK II 。当時それをバカにした同級生達は、今地元で時給いくらのスーパーのレジ打ちとか警備員やってる。全員非正規雇用。みな独身で親と同居。40歳近い。大卒はいない。地元以外知らず周囲と合わせるのが正しいという人々。
https://twitter.com/May_Roma/status/474520128441569280

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こういうのを見ると、ホント心の底から集団ストーカーは終了したんだなぁと感慨深くも実感するもので。
いや、この谷本真由美という人のツイート内容ではなくて、それに対する「2chの反応」とかいう、その数々の書き込みを見てね。

驚いたね。
この谷本氏と同調して、非正規労働者をバカにするのかと思いきや、低学歴を見下すのかと思いきや、独身で親と同居している人間をバカにするのかと思いきや、谷本氏を「ストーカー」呼ばわりして批判の的にするとはね。

まぁ実際、谷本氏はどうやって同級生の現在の状況を把握したのか不明だが、しかし、それが明らかにならない限り、というか、彼女自らが明らかにしない限り、彼女に対するストーカー疑惑は払拭されないわけで。

「どうして、それ知ってんの?」

知られる筈の無いものが知られている。
分かる筈の無いものが分かられている。
それは明らかにおかしいのである。

それって「ストーカー」そのものでしょ。
言葉には気を付けないとね。ホント。

ただね、谷本氏の努力は否定しませんよ、勿論。
幼少の頃に周囲に同調できなくて、バカにされて、その反骨心からか一生懸命努力して今の地位を得た、それはとても素晴らしいことだと思います。女性でありながら一匹狼的なところとか、個人的にはとても大好きです。
でもね、それを以ってして、自らの優位性を誇示する為に、自らを他人に上位的存在だと認めさせる為に、他人を見下す行動に出るから批判されるんですよ。

やっていること「同じ」なんです。

加害者と同じ行動を取ってはいけない。
これは、人為的集団ストーカー撃退方法の基本中の基本なんです。

だから、再三になるかも知れないが、改めて集団ストーカー被害者に言いたい。尤も、ここでいう被害者とは、現象被害ではなく、人為的被害を対象とするものであるが、というか、現象被害は完全に終了といってもいいだろうしね。あらゆる意味で絶対に表には出てこないから。

で、加害者というのは、悪意の塊なわけです。
その悪意に加担してはいけないということです。
その悪意に同調してはいけないということです。
その悪意を破壊したいのであれば、その悪意を炙り出す必要がある。その為には、自らが善となるしかないわけです。

その善とは、自らが考え得る善意、自ら信念を持った行動を取る。ということです。
勿論善悪に基準は無い。人それぞれ考え方は違うし、その人の考え方を無理繰り変えようなどと、それは傲慢以外の何ものでもない。だから相手を尊重する。相手の行動を尊重する。相手の言動を尊重する。相手を相手として認めた上で、自らの信念を貫く。ということです。

ま、平たく言うと、「あなたは悪意でそのまま突っ走ってくれ。俺は俺の考える善意なる信念で突っ走る」といったところです。




それにしても・・・
時代は変わった・・・
数年前であれば、谷本氏の意見に同調していた人間が圧倒的大多数を占めていた筈である。いや、実際、同調している人間も多いに違いない。

時代が変わった・・・のか?
時代を変えようとしている・・・のか?

集団ストーカーは終了しました

終わり。
集団ストーカーは、終了しました。

今後この集団ストーカーという犯罪は、公になることは一切無いでしょう。今回の淡路の事件でも証明されました。

・大新聞5社の記事には「集団ストーカー」の文言は一切無し。
・民放キー局全ての報道に於いても「集団ストーカー」の発言及び表現・記載等一切無し。

ただ、web上の新聞社記事では、読売及び産経が「集団ストーカー」なる文字を見出しとして記述していた。これが少々気になる。が、リアルの新聞紙面上には全く表現・記載など無し。

色々と思うところもあり、また書きたいことも色々とあるのではあるが、ただ言えることは、

集団ストーカー被害者は、「普通」に「毅然」と「堂々」としていれば良いということである。

結局、集団ストーカーは「無いことにされる」のである。

だから、集スト被害者は、何をされても何を言われても何がどういう状況に追い込まれようと、少なくとも最低限は法に則って日々の生活を送ればよいのだ。要するに普通にしていれば良いのである。

今回の事件の被害者は、大津の被害者とは違い、web盗聴や執拗な付き纏いや、他人が知る由も無い個人情報の暴露といった真の意味での集団ストーカー、云わば人為的集団ストーカー被害者ではなく、現象被害に陥っていた被害者であったにもかかわらず、やはり表には出てこないのだ。

集団ストーカーは、表に出ることは絶対に無い。
出されたら非常に困るのだ。
散々加害行為に及んでおきながら、今更になってその火消しに躍起になって心底困り果てているのが加害者の現状なのである。

随分前にも書いたが、被害者の個人に関する何かを仄めかされた所で、「どうしてそれ知ってんの?」などと加害者に問い質した所で、何一つ言えないのが加害者なのである。何をどうすることもできない、ただ犯罪行為を犯して他人のプライバシーを覗き見して、在る事無い事他人に吹聴して回るストーカーであることを暴露されることこそが加害者の最大の痛手であることを改めて認識させて頂いた次第である。




淡路の事件で殺害された「被害者」の皆々様方には心からご冥福とお祈りを申し上げさせて頂きます。ただ、恐縮ではございますが、勝手ながら私見を申し述べさせて頂きますと、今回の事件の犯行に及んだ犯人である「加害者」は、恐らく「現象被害」を相当なる長期間に渡って受け続けた云わば「被害者」であろうと思われ、その現象被害の本質を知らず、対処方法を誤り、更には自らを「被害者」だと思い込んでしまった挙句に、最終的にあのような凄惨な事件に及んだものと思われます。

ただ、残念なことに彼には殺意はあっても、恐らく悪意は無い。

従って、そのような人間をどのように罰すれば良いのかは国の判断に委ねるしか術は無いのですが、一集団ストーカー被害者として、特に現象被害の本質を知る者としては、心が痛むばかりで他に言葉が見つかりません。

天皇制

世界に冠たる類稀なる平和憲法を持っている我が日本の憲法に「天皇は日本国の象徴であって・・・云々」という条文があるが、今にして、この文言の意味を理解するにあたり、何と言うか、全く以って凄いな。と思う。

いい意味にせよ、悪い意味にせよ、天皇が、天皇制が全てを象徴している。
この日本という国と、日本人というその特性を。
真っ先に殺されてもおかしくない戦犯が、堂々と憲法に祭り上げられている。そう、祭り上げられ、示されているのだ。

アメリカってやっぱり頭イイ!!ね。
これ程に利用価値のある制度は他に絶対に無いと思ったのだろう。しかも堂々と第一条に持ってきてやがる。日本人を奴隷にする象徴を真正面から突きつけたわけだ。全く恐れ入る。

まぁ何と言うか、天皇なんてただの空気、在るのも無いのも一緒。などといった認識の日本人が圧倒的大多数を占めているのではないかとも思えるが、いやいや、日本人一人一人に確実に存在しているのだ。

一挙手一投足、何よりもその精神性・・・

勿論、加害者も侵されている。いや、加害者こそが一番侵食されている。
しかも気付いてない。
ま、俺が今になって気付く位だから当たり前かw

私は現実の天皇及び天皇制などには全く関心が無いが、加害者の中に在る天皇制については、思う存分利用させて貰おうと思っている。

イイ!!奴隷を見つけた。
気付かせてくれたアメリカさん、アリガトw

利害

この世は、というか、少なくともこの国に居住する限りでは、全ては利害に制約付けられている。
ま、人間が生きて行く上では、余程のことが無い限りどうしてもそうなってしまう、これは本当に致し方が無いことなのか。

あいつが憎いとか羨ましいとか許せねーとか、それに比べて俺はとかアタシはとか、じゃあ別の方法でとかいって、それでも上手く行かない場合は、自ら退くことよりも、他者を排除して自らを維持しようとする、その意地汚い性根といい、これは人間が肉体を持って生まれて、各々のその多数当事者間で利害をぶつけ合いながら生きて行かざるを得ない、醜い生き物としての自覚。

加害者にはこれが徹底して足りないわけだ。

他者との利害を調整して、互いが譲歩し合うのではない。他者の利害そのものを排除して自らの保身を図る、自らの利益を図ることしか考えない、考えられない、しかもそれをよしとする、何処まで糞まみれなんだと腹が立つばかりであるが、このような人間に対して、いや、このような存在に対して、私は教育が必要なのではないかと思っていたが、いや、飼育だ。いや、飼育というよりも、家畜として扱うのが妥当ではないかと最近になって心底思うようになってきた。

あ、こいつ加害者だ。と思った瞬間に、家畜扱いすることに決めた。

もういい。
幾ら人間扱いしたところで、いや、人間扱いをするから益々付け上がる。
自らの醜さと、その卑しい存在性を徹底的に炙り出して、いや、自ら率先して炙り出させ、自らが何処まで愚の骨頂たるかを、自らの行為によって、自らを「認知」した時、そうしてやっと、人間になれるのかも知れないな。

そういう教育をしようとは思わないが。
ただ、家畜扱いするだけ。

恐怖

人を突き動かすのは須らく恐怖である。
愛の時代などと云われている、いや、云われていた、いや、これから近い将来到来するなどと、それこそ云われている(た?)が、人の能動的に発する感情である「愛」だなどと、そんなものは、まだまだずっと先の話であると最近になっても尚厳然として私の中では在る。
というよりも、最近になって更に確信した。

何よりも恐怖なのである。

肉体を制御して生きて行く上で、どうしても拭い切れないこの感情、この極めてどうしようもなく受動的な感情、この恐怖感情によって、人は動く。これからも。恐らく結構遠い将来までずっと。

考えてみれば、私自身に限って言えば、思い当たる恐怖は無い。
前はあった。色々と。というか、あった筈。
童貞というのもそうだ。前は恐怖のように感じていたこともあった。学歴だとか、容姿だとか、それは結局、周りから外れたらどうしようといった恐怖。
今はそれが全くと言っていい程無い。

恐怖が無いから、加害者自身にある恐怖を押し付けて結果平等を図ろうなどと様々なくだらない稚拙な行為を仕掛けて来るのは、あくまでも「人間」としての感情としては理解できなくもないが、明らかに筋が通らない愚行である。

被害者が怖くて仕方がない加害者は、これからもずっと加害者で有り続ける。
気付かない限り、何の成長もない加害者で有り続ける。

加害者の根源にあるのは恐怖だ。
それ以外の何物でもない。

加害者は気付いていないのである。
何に恐怖しているかを。
というよりも、自分が恐怖をしているということに気付いていない。

そして、それが致命的な弱点であるということ。

被害者はいつでも何処からでも、その恐怖感情を煽り立てることができるのだ。いくらでも意のままに、その恐怖感情を利用することができるのだ。
全ては被害者の意中にあるのである。

そんな「人間」を相手にしているということだけは認識しておいた方が良いかもね。

勉強不足

全く勉強不足。何も知らない。

恥ずかしながら実は、これまで私自身結構モノを知っている方だと思っていたのだが、とんでもない話である。とんでもない大バカ野郎な勘違いである。
世の中のしくみとか、金の流れとか、そこで行われていることとか。どのようなルールに則っているのかとか。そんなことすら知らない。

何も知らない。知らな過ぎる。

私の仕事は炙り出しだ。
私の存在そのものが炙り出しだ。
特に、私の集団ストーカー加害者に対する炙り出しは礼節を以ってして対応する義務があるにも関わらず、この私の勉強不足は極めて礼節に欠いた行為以外のなにものでもない。

感謝を込めて炙り出しをしなければならないのだ。
特に加害者に対しては。

勉強不足。
勉強しなければ。