利害

この世は、というか、少なくともこの国に居住する限りでは、全ては利害に制約付けられている。
ま、人間が生きて行く上では、余程のことが無い限りどうしてもそうなってしまう、これは本当に致し方が無いことなのか。

あいつが憎いとか羨ましいとか許せねーとか、それに比べて俺はとかアタシはとか、じゃあ別の方法でとかいって、それでも上手く行かない場合は、自ら退くことよりも、他者を排除して自らを維持しようとする、その意地汚い性根といい、これは人間が肉体を持って生まれて、各々のその多数当事者間で利害をぶつけ合いながら生きて行かざるを得ない、醜い生き物としての自覚。

加害者にはこれが徹底して足りないわけだ。

他者との利害を調整して、互いが譲歩し合うのではない。他者の利害そのものを排除して自らの保身を図る、自らの利益を図ることしか考えない、考えられない、しかもそれをよしとする、何処まで糞まみれなんだと腹が立つばかりであるが、このような人間に対して、いや、このような存在に対して、私は教育が必要なのではないかと思っていたが、いや、飼育だ。いや、飼育というよりも、家畜として扱うのが妥当ではないかと最近になって心底思うようになってきた。

あ、こいつ加害者だ。と思った瞬間に、家畜扱いすることに決めた。

もういい。
幾ら人間扱いしたところで、いや、人間扱いをするから益々付け上がる。
自らの醜さと、その卑しい存在性を徹底的に炙り出して、いや、自ら率先して炙り出させ、自らが何処まで愚の骨頂たるかを、自らの行為によって、自らを「認知」した時、そうしてやっと、人間になれるのかも知れないな。

そういう教育をしようとは思わないが。
ただ、家畜扱いするだけ。