幸せって

幸せとは一体何か、特に私の場合は何を以ってして幸せを感じることが出来るかなどと、昨日今日とずっと考えていたのであるが、というか、特に2chなどを見ていると、実に不幸な災難に遭遇している人間の多いことか。と。

私は今でこそ被害は無いに等しいものの、というか自身では感じられないものの、一被害者として、私の被害はこれで終わりました。はい、サイナラ。でいいのかということである。

別に他人の幸せをどうの、不幸な人間を救おうなどと、そんな大それたことは思ってはいないが、未だにこの災難に遭遇している人間を見ると、この災難に日々格闘していた実に実に暗いどん底のあの頃が、いやが上にもフラッシュバックされてくる。

過ぎ去った過去は取り戻すことは出来ない。前から書いている通り、これは私が人に甘えきっていたのが原因でもあるのだから、これは私自身でケリをつけなければならない。

私が若い頃に思い描いていた幸せ、例えば25〜28歳位で結婚して子供を10人位産んで貰って皆でワイワイとか、そういえば橋下弁護士は私の理想をそのまま突っ走っている人で、政治家になったのはともかくとして、全く凄い人だと思うのだが、あんな人と比べては当人に対して失礼だろうが、そんなことはともかく、私の幸せを考えたとき、これまでの特に20年余という集団ストーカー被害者としての生活を強いられてきた、この歳月と苦渋・苦痛を自身の中で処理することこそが、それは私の加害者に至っては不幸になる人間が多いとは言え、いや、そういう相殺適状とかそういうことではなく、何か出来ることが絶対にある筈である。そして、その出来ることこそが、果たし得なかった若い頃の夢、集ストによって壊された夢の反作用的に、自身の幸せと他人の特に他の被害者の幸せを得ることが出来るのではないか。

その「出来ること」とは一体何か。
臨戦態勢、草を食べること、いや、しかし、そういうことでもないのかも知れないが。