恐怖

人を突き動かすのは須らく恐怖である。
愛の時代などと云われている、いや、云われていた、いや、これから近い将来到来するなどと、それこそ云われている(た?)が、人の能動的に発する感情である「愛」だなどと、そんなものは、まだまだずっと先の話であると最近になっても尚厳然として私の中では在る。
というよりも、最近になって更に確信した。

何よりも恐怖なのである。

肉体を制御して生きて行く上で、どうしても拭い切れないこの感情、この極めてどうしようもなく受動的な感情、この恐怖感情によって、人は動く。これからも。恐らく結構遠い将来までずっと。

考えてみれば、私自身に限って言えば、思い当たる恐怖は無い。
前はあった。色々と。というか、あった筈。
童貞というのもそうだ。前は恐怖のように感じていたこともあった。学歴だとか、容姿だとか、それは結局、周りから外れたらどうしようといった恐怖。
今はそれが全くと言っていい程無い。

恐怖が無いから、加害者自身にある恐怖を押し付けて結果平等を図ろうなどと様々なくだらない稚拙な行為を仕掛けて来るのは、あくまでも「人間」としての感情としては理解できなくもないが、明らかに筋が通らない愚行である。

被害者が怖くて仕方がない加害者は、これからもずっと加害者で有り続ける。
気付かない限り、何の成長もない加害者で有り続ける。

加害者の根源にあるのは恐怖だ。
それ以外の何物でもない。

加害者は気付いていないのである。
何に恐怖しているかを。
というよりも、自分が恐怖をしているということに気付いていない。

そして、それが致命的な弱点であるということ。

被害者はいつでも何処からでも、その恐怖感情を煽り立てることができるのだ。いくらでも意のままに、その恐怖感情を利用することができるのだ。
全ては被害者の意中にあるのである。

そんな「人間」を相手にしているということだけは認識しておいた方が良いかもね。