監査の心得

通常私企業、公の機関を含めて監査・監察をする人間はその監査等をする人間が周囲に知れ渡っており、その団体等に属する人間は、その監査等をする人間の存在が特定の誰であるかを知っている為、その人間に対してのみ、或いはその部門・部署等の目に触れない、若しくはその団体等の法律或いは就業規則等に抵触しなければ、特に処分対象になることは無い。

早い話が、バレなければ何をやっても良いということにもなる。

ところが集団ストーカー善意の被害者の行なう監査は、その対象とする人間の、というか集スト善意の被害者に関わる全ての人間の様々な事柄、特に人間性の部分に踏み込んだ領域までをも監査対象に含まれ、それは明らかに本人にしか知り得ない事実、それは対象人物の善意・悪意も含めて、全てに及んでおり、その内容は勿論口には出せないが、先に書いた、バレなきゃ何をやっても良いという、その手法が全く通用しないところに本当の意味がある。

「このバレなきゃ何をやっても良い」という言葉を合言葉に、加害者等は様々なプライベートに関する領域にまで踏み込んで、他人に吹聴し、そのネタを元にとして在ること無いこと尾びれ羽びれを付けた、根拠のない噂を流布して被害者を攻撃していた、それしかできなかった、そんなどうしようもない劣等種が、今度はまさか、それが人海戦術では絶対的に対抗し得ない形で、自らに降り掛かってくるとは、よもや思いもしなかったことだろうと思う。

まぁ、これも自己責任、因果応報といったところか。
早い話がバチが当たったと、世間様では表現すべきものである。

従って、この「バレなきゃ何をやっても良い」という概念、劣悪なる性根が集団ストーカー加害者も含めた集スト悪意の人間の根幹部分でもある為、この部分を徹底的に矯正する必要があるということであり、それは集スト善意の被害者のみが為せる業でもあるのだ。

先日も書いたが、この責任は重大である。
この監査をするに当たっての心得として、まず、自らが監査をしている人間だと周囲に悟られないようにすること。これは徹底して行なう必要がある。特に集スト加害者及び集ストに加担するような人間は、自分より「弱い」と見做した人間に対しては非常に傲慢な態度に出る、いわゆる内弁慶体質の臆病者の為、そのような人間は、「自らが監査でござい」などと正体を明かした瞬間に、手のひらを返すように態度が卑屈なまでにも恐れおののきの如く豹変したりする。これは絶対に避けなれればならない。監査はあくまでもその対象とする人物の人間性に及ばせるものであるから、その対象者が如何に情けなくも、卑しい人間かを暴露し、自らを心底徹底的に反省させなければならないのだ。その為には、

絶対に、自らを監査役だと悟らせないこと。

に関して、徹底して行動規範として定め、自身で律しなければならない。実際には、ちょっと卑屈に見える人のイイ人。というのが理想である。でなければ、その人間の本性が暴けないのである。

次に、力を通じたその対象者の知り得た情報は、絶対に口言(こうげん)してはならない。これをやってしまっては、加害者等と同等になってしまう。口言は避けること。公言は、別にそれは、分かる人間が分かればそれでいいので、互いに「ふ〜ん、そうなんだ、そんな人なんだ」と理解し合えれば、それで良い。探偵やら何やらを使って、陰でコソコソやっている人間の人間模様、様々なその個人の情報が何やら色々とそんなのが、何ともホント糞というか、百歩譲って表現しても、そんな心根の腐った人間も、実は自分自身も暴露されていることに気付こうともしないもので、そんな行動を取っている限りは、こいつもここでストップして、ただただ退行していくのみかと思うと何とも、しかし、こんな奴でも教育次第でどうにかできるものかと、陰でコソコソしかできない人間こそ、自らの行状を暴露されることを極度に恐れているんだよね。それも自ら選んだ道。勿論口言はしませんよ。

ま、監査は忠実に。謙虚且つ律に忠実に。