人間選別

その昔、ダーウィンの進化論の影響をモロに喰らって、それまでの思想を180度転換させた学者がいたが、なんつーか、ホントこの被害を何十年も渡って受け続けて私もやっと気付いたかといった所である。

優勝劣敗
適者生存

私はこの言葉は大嫌いだったのであるが、というか今の今でもこの言葉は嫌いなのであるが、しかし、今の世間を見るに付け、今のこの現代という時代をリアルタイムで生きているこの私、この目の前に拡がるスクリーンは、勿論私が選択したと見做されてもおかしくは無い、その行為・行動、その全て、それは上記二文字を心底認めさせる為だったのか。と。

例えば、私が今まで受けてきたこの被害を他の人間が受けたらどうなるか、適者生存とはまさにこのことなのだ。集スト悪意はただの捨て駒となって別世界に淘汰、しかし力を伴った集スト善意の人間が適者生存宜しく複数人突如として出現、その間で行われるパワーゲームが優勝劣敗だとするならば、

人権新説などと生易しいものではない。尤もその本を読んだことが無いので具体的内容は知らないし、あの時代がどのような時代だったのかは知らない。しかし現時代に於いては、既に人間選別の段階に入っているのだ。それは私だって数年前から気付いていた筈である。その当事者になっていることにも気付いているのだ。

私だけが特別なのか?
まさか。
数年前から続くこの肉体の異常は、決して私だけではあるまい。
他にも複数人必ず居る筈である。

人類は佳境に入っているのだ。