優しさライセンス
ダウンタウンのフリートークで松本が言った言葉であるが、どのような経緯でこの言葉を発し、彼自身どういった意味合いで使った言葉なのか全く忘れてしまったが、まぁ何と言うか何を以って優しさとするのかってね、対人関係における優しさというのは、その立ち位置、というか状況に拠って異なってくるのだが、そもそも人を労わるという点に於いては、その優しさという言葉、行為は本質的な意味では変わらない。
その人の為を思って。
その人にとってはどうするのが良いか、自分なりに考えて、そう対処する。
そのやり方は人それぞれ。それが仮に「私の優しさ」を意味する行為等が周囲の意にそぐわないなどと糾弾される覚えは無い。
私はつい先日も書いたとおり、この被害の本質というか、この世に生きる、生を受けた人間に対して異常な善意を期待していた、人に頼り切っていた、甘ったれていたと記載したが、それは人に対する対処、特に「優しさ」という部分を完全に自身の中で履き違えていたことに他ならないのだ。
勿論、人は労わりますよ。
でもね、労わり方が問題なんですよ。
誰に対して労わるかが問題なんですよ。
なんでもかんでもってわけには行かないんですよ。
普通の人には普通の人に対する労わり方がある。
通常考え得る善意を以って対応すること。
加害者には加害者に対する労わり方がある。
何が何でも徹底的に粉々に粉砕すること。
隠蔽非処女には隠蔽非処女に対する労わり方がある。
どのようなことがあっても絶対に性交はしないこと。
優しさというのは、そういうものです。