モテるということ

別に自慢するわけでもなければ、私自身そうは思っていないのであるが、人から「イイ男」だとか「男前」と云われることが多い。
集スト被害が今よりも酷くなかった頃は「モテるでしょう」だの、若い頃は「女を何人泣かせて来たんですか?」などと云われたりして、私は全くそのような経験は無かったので(今でも無いが)、まぁ実際うんざりしていたのであるが、そもそもモテるとは一体どういった意味合いなのか。

本当に心の底から愛し愛される関係を築けない人に好かれたところで、それはモテるとは言わない。

私の場合特に隠蔽非処女に好かれたところで、それは「実際の私」を知らないで、表面的な部分で好きになった、好きになった気がしている、そんな人と一緒になろうとは思わない、思えないし、しかし私の場合は嫉妬に狂った隠蔽非処女がストーカーをして私のことを有ること無いこと、それは処女しか相手にしない童貞であるということも含めて、他人に吹聴してくれるので、そこで私の判断で人間選別が出来るので、まぁ或る意味好都合ではあるにしても、結局愛し愛される人に出会えていないのが現状である。

それは勿論、集ストにより有る事無い事噂話を吹聴される人間とは誰も一緒になろうとは思わないだろうし、それよりも何よりも私自身がしっかりしていなかった、要するに前に書いた通り、人の善意に期待をしていた、甘ったれていた、見る人が見れば分かるなどと思っていた、その有りもしない善意に期待していたというのが一番の原因かと。まぁそんなことはともかくとして、

モテるとは一体どういうことなのか。
多くの異性を虜にすることなのか。
隠蔽非処女は私は女とは認めていないが、これの何処がいけないのか。
隠蔽非処女であっても、好きになる男は幾らでも居る。何故それではいけないのか。
隠蔽非処女はどうして多くの男を求めるのか。
そして隠蔽非処女は、どうして多くの男を求める自身の性癖を無理からに他人に強要しようとするのか。

どうして、その男だけを、好きになってくれている男だけを、見ようとしないのか。

私は、多くの女など要らない。全く必要無い。
一人だけで十分なのだ。
多くの異性を相手にしたところで、むなしいだけで結局は只々心が荒むだけである。

たった一人の相手を求めて、たった一人の自分が心から認めた相手と結ばれ、つがいになることの一体何が悪いというのか。