期待上げ

指針は決まっているのだから実行すれば良いだけなのであるが、中々こう動きが鈍いというか、別にやる気が無いわけではないが、やはりこの期に及んでも加害者に期待してしまっている自分が居るのだろうという、自らの可能な限りでの客観的判断からそう思うのであるが、全く何処までお人好しなんだろうと我ながら情けなくなるね。

まぁ尤も加害者に期待というよりも、加害者自身による加害者の意思決定の結果待ちというか、去年の今頃にも確か書いたことでもあるが、これからの時代は加害者自身の行動規範に拠るということ、例えば加害者自身に起きている「現象」に対して私は一つの解決策を提示して差し上げたわけだが、その後どういう行動を取ったかとかね。

要するに、善意者の善意をどのように受け取ったか。
別に善意者と限定はしなくとも、人の善意に対してどのような対応をしたか。

ということ。
前頭葉の不調の責任転嫁を人に擦り付ける前に、それは自らが選択した結果であるという自覚から始まる。こんなことはもう数年前から幾度も再三申し述べていることなのだ。

ここ暫く様子を見ていて、実に実にそれを強烈に感じていたのだが、やはり私はバカを通り越したお人好しのようである。

この性格は生涯直らないのかな。別に直す必要は無いと思ってしまっているのであるが。それが功を奏しているのかどうかは知らないが、いや、まぁあくまでも加害者に期待するという姿勢は貫く以外にあるまい。

こういうこと書くのは何かこうこうこういう計算がある。
ああいうことを言ったり書いたりするのは、計算して書いている。

加害者はよく言うが、「無いよ」何も。
計算は無いと言えば確かに嘘になる。が、その計算はあくまでも、

加害者に期待。

それだけ。