これからの世の中と希望する世の中

これからの世の中は、しこうして「正直」で業の少ない、いや、人の業など殆ど消滅した世の中になるだろうと思われ、そしてそれは間違いなく、その世に向けて動いているということである。

あのノストラダムスの大予言の頃と同様、最近では2012年の冬至頃に世の中に天変地異が起こる、所謂アセンションと共に人の意識が突如として劇的に変化する時代が到来するなどと一部の間では言われているが、そのアセンションと云われているものとリンクするかどうかは別にして、先に書いた「因果律」が非常にえげつなくもグロテスクな形で人に襲い掛かってくるものである。

人は、肉体を持った生き物に過ぎないから、業はあり欲もあって然るべきなのであるが、それを良いことに、特に悪意を伴った人に行った行為そのものが予期せぬ時期に予期せぬ形で、その人自身に容赦なく降り掛かる。

そして、それは2012年の冬至を待たずして起こる場合もあれば、起こらない場合もあり、しかも、それは既に現段階に於いて一部の人間の間に起きてしまっているのもまた事実なのだ。

それは、何の前触れも無く、突如として容赦無くやってくる。

その時、肉体を持った人間として、人々はどう対処できるのか。どう対処すべきなのか、それはその時のお楽しみにwというか、それも、その人のまさに「因果」なのである。

アセンションによって人類の9割が消滅し、生き残った残り一割の約5億人をニューエイジなどと云われているらしいが、それは今の若い世代の人々が圧倒的大多数を占め、それは、この世に生きて特にしがらみも無ければ業も無く、隠し事も少なければ、「正直さ」を暴露されることがあろうとも、「死」に至る程の苦痛を伴わないからである。要するに、

「バレなきゃ、何をやってもいい」

という考え及び行動が、全く呈を成さない。というか、そのような人の心の中にある悪意ある思考及び行動こそが更なる苦痛を伴ってその人に襲い掛かってくるのである。その時、人々はどのように対処できるかどうかは不明だが、とりあえず言えることは、生き続けたいのであれば、今の内に正直になった方が良いということである。

「(被害者が)何もしなかったのが『悪い』んだから」
「相手にしなかったのが『悪い』んだから」

再三述べるようだが、悪いも良いも糞も無いのである。
この世に規定されている法的にも或いは倫理的にも、悪いことだろうが良いことだろうが、それは間違いなく跳ね返ってくるということである。
善意、悪意、怒り、喜び、悲しみ、憎悪、そして嫉妬・・・

非常にえげつなくも、グロテスクな形で。