尊重して差し上げる

この世に行ける行けとし人間は、その人間同士が各々パートナーのようなものであり、それは長幼の序或いは客接待といった、社会生活を営む上での云わば表面上の儀礼などの場合は別概念として、基本的には皆然るべく各々互いに尊重し合いながら生きていくべき存在であり、その互いに尊重するという行為行動は、そっくりそのまま因果律に適用がある。

ある人がある人に対して、ある行為或いは言動を行った。

その行為が善意悪意の区別無く、その行為に対して、やられた側としては「絶対に許せない」と思ったとしても、その行為は尊重されて然るべきなのだ。要するに「許す」「許さない」といった概念が存在しないということである。在るのはただ、相手の行為言動等を最大限尊重するのみということである。

その結果、ある行動に及んだ人間が、数奇な出来事に出くわそうとも、それはその人間が自らの意思で選択したことなのであるから、それを思う存分「享受」すべきであり、それがまさに自己責任の取り方でもあるのだ。

「もう止めさせてよ! 日増しにどんどん強くなってるよ!」

それは、自分の過去或いは現在の行為に対して尊重されているのだということを理解しなければならない。自分で選んだのだ。にも関わらず「止めさせてよ!」などという言葉が出ること自体がおかしい。何故ならば、「止めさせてよ!」と思うのであれば、その止めさせ方は、自分自身が知っている筈だからである。

自分で選択したことを自分でケリを付ける。

至極当たり前で真っ当なことであるが、これが尊重する或いは尊重されることであり、自己責任というものである。