時の流れ

昨今はアニメブームであるが、私は最近流行のアニメなどは全く観ない。別にアニメが嫌いだからといった理由からではなく、単純に自ら進んで観る気がしないからであるが、しかし、子供の頃は勿論他の子供と同様御多分に漏れずに観たもので、その中でものめり込んでしまったのが、小学5年生の頃に観たあしたのジョー2と、6年生の時に観たガンダム(1年戦争)である。

ネットを眺めていると、上記両アニメの一部シーンなどがUPされていて、特にガンダムに至っては名場面がことごとくUPされていて、実に感動モノである。ガンダムとは、僅か16歳のアムロという少年が、突然戦争に巻き込まれた際に、周りに何の許可も得ること無く操縦したロボットの名前がガンダムというだけの話であるが、どうして、このアニメの表題が「ガンダム」なのか私には未だに理解できない。主人公は紛れも無くアムロなのであるから、「アムロ」でいいんじゃないかと。などと、まぁそんなことはどうでもいい。

突然戦争に巻き込まれたアムロという少年が、ガンダムというロボットを操り、敵と言えども最初は異常なまでに人を殺すことに対して躊躇していた人間が、次第にアホみたいにバンバン人を殺していくのであるが、その行為が自分を守るため、そして仲間を守るためにとあったならば、それは致し方の無いことか。と。そもそも、それが戦争というものの本質の一部とも言えるのかも知れない。

ガンダムの見所は、そういった人をバンバン殺戮して行く過程での、その間に巻き起こる様々な人間模様にある。
特に、生と死の狭間を潜り抜けた挙句に、その異常なまでの精神的極限状態が影響したのもあるのだろう、しかもアムロという少年は戦場に於いて無数に人を殺しまくるものの、ことごとくその性根が純粋であったことも伴ってか、敵の動きが予想できたり、最終的には相手と実際に「口」を以って物理的に言葉を介さずとも、心に思っただけで意思の疎通が図れるような、所謂ニュータイプと呼ばれる人間となって行き、あろうことか、その同類のニュータイプは敵の女将校であり、その女とニュータイプ同士、テレパスで威嚇し戦い合いながらも、最終的には、その女を殺してしまうという、上記動画の8分余りのワンシーンは、実に見応えのあるものである。

「いつか、人は時だって支配することができるさ」
「あぁ、アムロ、時が見える・・・」

このフレーズは、ガンダムの数ある名台詞の中でも更に有名なものであるが、一年戦争に突入した宇宙世紀0079年は、西暦何年に該当するかは知らないが、「時の流れ」「時が見える」「時間を支配」という概念は、このアニメに出てくるような、極めて高精度のロボットの開発や人類の宇宙移住、果ては宇宙戦争を待たずとも、実はすぐそこまで来ているものである。

まぁ、世の中に高スペックのパソコンが安価に手に入る筈も無ければ、インターネットなど世の中に公開されていなかった時代に、人類がどのような時代にどのような局面を迎えるかなど、予想できる方が変というか。つーか、そもそも子供向けのアニメの話だし。

しかし、当たり前の話であるが、このアニメはとてつもなく偉大である。
あの時代に於いて、このような指針を与えたこと。そして、当時の小学生から恐らくは大人に至るまで、その心に莫大なる影響を与えたことであり、それ故に、今現在そして、近い将来の未来を規定してしまったからである。