孤高なる究極のスタンドプレイヤー

またアニメの話になるが、あしたのジョー矢吹丈を一言で表現するならば、「孤高なる究極のスタンドプレイヤー」という言葉がしっくり来るように思う。先に採り上げたガンダムアムロも、ガンダムパイロットという意味では最終的にはスタンドプレイヤーに違いはないが、地球連邦軍という国の軍部組織である軍人の一人であり、尚且つホワイトベースという戦艦の乗組員の一人であり、そこには、フラウボウやブライト、セイラ、ミライ、カイ、ハヤトといった組織内部の人間というか仲間が居て、その中の一人という位置付けであり、確かにアムロはその中でも頭抜けた能力を持つ人間ではあるが、敵と戦争を繰り広げる上でのチームワークを嫌が上でも最重視され、人間は決して一人では無いのだということを印象付けられるが、あしたのジョー矢吹丈は、確かに段平や西寛一、林家紀子、サチやキノコといった仲間は居るものの、基本的には孤独で、自分の腕一本でのし上がって行くという孤高のスタンドプレイヤーである。

彼はボクシングを通じて、ウルフ、力石、カーロス、金龍飛、そしてホセと、数々の戦いを通して、上へ上へと目指して行くのであるが、あしたのジョーで描かれる矢吹丈は、いつも一人ぼっちで孤独ではあるが、敵を通して、その敵を心底敵と見なすのではなく、あたかも相手の人間性までも理解しようと努め、そしてそれに勝利する、というか克服するその過程、要するに、リング上でKOするだけではなく、相手の人間性までも理解して仲間に取り込み、そこに「友情」を見出そうとするところに最大の魅力があるのだ。

ガンダムも明日のジョーも、同じ「戦い」を主軸としたアニメであるが、ガンダムの場合、アムロとシャアは結局何処まで行ってもお互いに分かり合える事は無かったが、矢吹丈は相手を心底理解しようとして、最終的には良き友と描かれていて好感があるものの、味方であり仲間である段平や西や紀ちゃんの善意を半ば一方的に無視した挙句に、ただ敵と戦うのみに専念し、自ら公言したとおり最後には本物の灰になってしまった矢吹丈、対して専らホワイトベースの仲間を大切にしつつも、敵は敵と見なして破壊する、勿論ララァやランバラルといった例外はあるが、しかし、基本的には味方や仲間を大切にしようとするアムロ

味方を大事にするか敵を大事にするかといった所に、この二つのアニメの決定的差異がある。しかしまぁ、確かに同じ「戦い」ではあるけど、戦争とスポーツだからね。それは当たり前の描写なんだけど。

どちらが良いか悪いかなどはともかく、話を戻して、現在の我々が生きるこれからの時代を考えた時、スタンドプレイヤーよりも、チームワークが重要視されると思われ、いや、チームワークというよりも、「類は友を呼ぶ」の如く、強制的に篩い分けられた者同士間の繋がり、嫌が上でも似たような人間同士が相互連帯することになるのだが、だからといって矢吹丈のようなスタンドプレイヤーを否定するものではない。何故ならば、繋がりという概念は孤独に基礎付けられたものだからである。