童心に帰る想いで

あしたのジョーの実写版なるものが公開されたらしい。というか前々から知っていたのであるが、観る気がしなかった。コミックやアニメに勝ることは絶対に無いと思ったからである。まぁ実際未だに観ていないのであるが、恐る恐るYoutubeに上がっていた予告編の上記動画を見て、それはやはり間違いが無かったと確信した次第で。

まぁDVDが出たらツタヤででも借りてと思っていたのだが、その気も全く失せた。というか、この手の作品を実写化すること自体が非常に難しいというか不可能だと思われ、それでも尚あえて実写化に踏み切って公開した監督並びに俳優陣が凄いというか、心から敬意を表したい。こんな難しいことによく挑戦されました。ご苦労様でございました。

私も原作というか、コミックやアニメを見ていなかったら、素直に楽しめたのかも知れない。ロッキーみたいに。しかし、なまじコミックやアニメ、特にアニメに関しては、小学5年生の冬、あしたのジョー2を記録するために、母親に泣いてねだって買ってもらったカセットテープレコーダーで毎週欠かさずテープに録って、引っ切り無しに聞いていたこともあり、このアニメに関しては特別な思い入れがある為に、だからこそ、どうにも実写版は期待できない思いが先行してしまうというか。ね。

あしたのジョー2に関しては、小学6年の丁度今ぐらいの季節にアニメの劇場版が公開されて、ある日突然珍しくも父親が映画のチケットを買って来てくれて、友達と観に行ったのだが、あれでさえ酷いものに感じてしまった。もう声が全然違う。紀ちゃんも、マンモス西も、白木葉子も、ホセもカーロスもみんな違う。しかもホセ日本語喋ってるし。更に物語が余りにも端折り過ぎ。何で金龍飛があんなに短いの?! あの過酷な減量の末に、真の意味での力石の亡霊を解き放った、いや、自分の中に「友情」という形で取り込んだ、あの奇跡の第六ラウンドの描写はどうしても必要な筈なのに。しかも金龍飛の声変だし。などと、そんなことに憤りを感じて、途中で本当に嫌になってしまって、そんな思い出が走馬灯の如く、まるで昨日の出来事のように思い出される。

ただ、ガンダムに関しては劇場版に軍配が上がる。音や声、臨場感は劇場版の方が遥かに上だ。特にⅢ。好きなシャリアブルやギャンが出てこないのは残念だけど、ガンダムは劇場版がイイ。モノに拠るね。まさに。

しかし、今にして思えば、あの頃の情熱は一体何だったのだろうか。毎週カセットに録音しつつ、とにかくシーン・シーンを目に焼き付けて、馬鹿みたいに何度も何度も聞いて、その場面を思い出しては楽しんでいた。これで役に立ったことと言えば、比較的良いと言われている記憶力は、多分あの時に育まれたのと、オナニーの際の脳内妄想を恐らくは人よりも多くの画像を交えてバリエーションを多岐に渡らせることができるといったところか。

あの頃、何であんなに一生懸命だったのだろう。あの頃の、ある物事に対する情熱とやらを今取り返すことはできないのだうろか。
いや、今からでも決して遅くはあるまい。
何か情熱を傾けられるものは、無いものか。