ロックンロール

まぁたまたま上がっていた動画で、何気なしに見ていたのであるが、私はロックといえば、殆ど洋楽しか聴かず、しかもプログレ、というか周りが言うところの「変な音楽」が趣味だったりするので、日本ロック界の神とも云われる矢沢永吉氏の良さが余り良く分からない。矢沢氏並びにファンの方々には大変申し訳ないが。

上記動画で流れる曲の良さも私には分からなかった。しかし、彼がステージに立って曲を歌う、というかロックするその姿、そしてそれに熱狂する人々を見ると、曲を歌って、そして聴いて盛り上がっているのではなく、ロックをして盛り上っている様が見て取れる。要するに、身体全身で歌って踊って楽しんでいるのだ。勿論歌詞やメロディーにも意味はあるのだろうが、それ以上に、如何に「楽しめるか」といったところに主眼が置かれ、身体全体でそれを表現し、周りもそれに同化してしまっているのである。

矢沢氏は、この動画の中で幾度と無く「楽しくなければ・・・云々」と言っているが、これは心の底から本心で言っているのであろう。それは、それまでの観客動員数を久米氏から聞かされても、今の人間にありがちな「いやいや、お客様皆様方のおかげです」といったような、気の利いた言葉も発せられないところ一つ取ってみても、如何に「自分が」楽しんでいるかを表している。勿論、お客様というかファンに対する感謝の気持ちはあるだろうが、要するに気の利いた一言、いや、視聴者目線を異常に気にした、まるで周りに媚びるかのような今風な対応は、そこには見られない。「ロックは楽しんだよ。みんなもそう思わないか? 俺と一緒に歌って踊ってロックしようぜ!」みたいな。そんで「俺について来い!」みたいな。

凄いパワーを持った人なんだろうなと、それはひしひしと伝わってくる。日本のロック界の人間は基本的には貧乏だが、金持ちが一人だけ居るなどと、久米氏は矢沢氏のことを挙げているが、恐らくは矢沢氏にとって金など範疇外。自分の気の向くままに歌って踊ってロックをしたのが、たまたま金という形で返ってきたに過ぎず、彼が仮に貧乏であっても自らの趣くままに歌って踊っていただろうし、それが伝わるからこそ、武道館にあれだけの人数を集めることができたのだ。

だから、ロックに対する妥協も許さないのだろう、彼がベストテンを初めとした歌番組に出演を一切拒否し通したのも、「テレビでは伝わらない」、要するに、何よりも「楽しめない」と確信していたからである。

「『自分が』楽しくなければ・・・」

これは全てのことついて共通して言えることなのかも知れない。しかし、今の時代、中々こんなことは言えないのは確かである。この動画が放送された1992年は、確かにバブルが崩壊したものの、まだまだ日本にも希望が持てた頃だった。しかし長引く不況と全世界を交えたグローバリゼーションで人件費は安くなり、IT革命も伴って人手が器械に代用され、果ては昨日の地震により更に希望が見失われつつある世界観を呈している昨今、この時代に起きていることは、「如何に慎重に慎ましくも、安定した高収入を得て人生を送る」ことこそが「希望」であり、その結果、個性が阻まれ、みんな本当に同じような顔。

人生を生きていく上で、整然した秩序ある世の中、要するに今のような世の中であることは、確かにとても素晴らしくも良いことであるが、でも、それで本当に楽しいの?! みたいなね。携帯カチャカチャやったり、パソコンカチャカチャやったり、それはそれで、私にしても集団ストーカー被害者でありながら、それでも十分楽しいやなどと思っていたけど、こういう動画を見ると、やっぱり考えさせられるね。

勿論、自身の望む「楽しさ」は人それぞれであるにせよ、個人的には、これからは「肉体」を伴った楽しさを追求したいなと。だからと言って歌って踊ろうとは思わないけど。

歌って踊ってロックしたい人は、思う存分、それをやって欲しいね。
やっぱり、楽しくなきゃ。ね。