集団ストーカーという踏み台

集団ストーカー被害者の皆様へ

とにかく、やれる事はやって下さい。
例えば、記録に残すことや、証拠を残そうとすることや、パソコンのクラッキングを阻止しようとすることなど、自身で出来る限りのことをやってみて下さい。もっと言うと、単に無視するだけでも結構ですし、ひたすら逃れるだけでもいいと思います。要は、「想い」なのです。

「そんなの何の役にも立たないよ」

などと仰られる方も多々いらっしゃるかも知れませんが、とにかくとりあえず自分は「これこれこういうことをやった」といった実績が必要なのです。勿論、自身の集ストを壊滅できたといった結果が出せれば、それに越したことはありませんが、中々そうは行かないのが現実だとも思うのです。そして、

「そんなの何の役にも立たないよ」

これは、加害者のよく使う言葉でもあり、この意味するところは、「それをやって欲しくない」ということなのです。被害者は被害を受けている以上、その違法性や非倫理性を嫌というほど認識していますが、実は加害者も同等、或いはそれ以上に、加害行為の違法性や非倫理性を熟知しているのです。自分の行為がどれほど悪辣かと分かっておきながら、加害行為をただただひたすら繰り返し、あわよくば加害行為を被害者に責任転嫁などしますが、それは、とにかく自分の加害行為を第三者に知られたくない、要するに自分の加害行為を世間に暴露されること、何よりも自分の悪意や憎悪や嫉妬に充ちた性悪さと程度の低さ、質の悪さを様々な世界に暴露されることを極度に恐れているのです。

・自分が悪いと分かっておきながら、しかも悪いことをしているという認識がある。
・でも、被害者が悪いということにしておきたい。しなければならない。
・そのくせ、自分のやったことは、絶対に第三者に知られたくない。
・だから、自分のやったことに対して、無理からに正当化する理由を付けて、集団を形成する。

以上が、集団ストーカーの本質的性質です。
しかし、結果は出せずとも、「これこれこういうことを私はやった」という実績、そして何よりも、その「想い」は、そのまま被害者の実績となり歴史となり、そして、それこそが今後の「力」となることを確信して下さい。

いい人は大事にして下さい。悪い人は相手にしない方が無難です。集団ストーカーに加担をするような人間は相手にしない方が無難です。しかし、人の善悪関係なく、特に集団ストーカーに加担などするような人間に対しては、

「それはあなた自身のやったことだから、あなた自身で責任の所在を突き止め、自己責任の下、ご自身で対処してください。」

という基本方針の下、相手の集団ストーカー加害行為をあくまで尊重しつつも突き放すのがベストです。いや、突き放すと言うよりも、加害者に対して今後の加害者自身の行動について心底考えさせる機会を与える教育者といったところでしょう。

「この世」がいつまで続くか、また「私」がいつまで今のままの「私」であり続けるかは分かりませんが、しっかり教育してやって、被害者同士お互い「力」をつけましょう。