変態集ストを育む国柄 (1)

上記動画は、中国と日本を政治情勢や経済情勢、教育情勢等々から比較するという志向の番組内容なのであるが、その中で、中国人と日本人はどちらが「スケベ」なのかという点について、議論というか喋くり合っているのであるが、どちらがスケベなのかなどと、そんなことは我が日本に決まっている。

ありとあらゆる面において、スケベで変態なのが日本なのである。

この点については、ハッキリとさせておかなければなるまい。
日本の性的嗜好については異常だという海外からの指摘も多くされていると聞くが、この偏狭な島国という民族の国民性と、ある物事に対して究極を追及しようとする探究心というか、ファウスト的精神と相まって、何処の文化風俗にも存在するのかどうかは不明だが、あのモザイクこそが、その変態度合いに拍車を駆けているのである。

女優の樋口可南子が86年だか87年だか忘れたが、マン子の周りの毛を露出したヌード写真集を発表したのを皮切りに、ヘア解禁とばかりに、他の女優もこぞって所謂ヘアヌード写真集を出したのだが、あれから25年の歳月を重ねた今も尚、マン子そのものというか、男性器も含めて生殖器が露出した写真集なりAVを出版することを禁じられている我が国の変態性癖を規定しているのが、あのモザイクなのである。

欧米諸国を初めとした諸外国のように全てを見せるわけではない、或いは中国のように全面的に禁止するわけでもなければ、イスラム圏のように完全に覆い隠すわけではない、我が国の場合のように、さも全てを見せているようなフリをしながら、肝心なところを隠すからこそ問題なのである。

当たり前の話だが、モザイクが掛かると、そこは見えない。そこに全く何も無いわけではない。確かに何かがあるのであるが、何があるのか分からなくなっているのだ。人の心理として、そこに何があるのかを探求するのは当然の話で、作る側の人間も同じ日本人ではあるが、だからこそ視聴者のその探究心を逆手に取るような形での、様々なバリエーションに富んだ性的嗜好の作品を世に送り出すことができるのだ。

卑猥な表現を避けて書くと、異性間の口膣奉仕から性行為に及ぶといったありふれたものから、3人或いはそれ以上の人間同士の性行為の乱交のもの、機械器具を使って快楽を得るものや、自慰行為から、異性間のサディズム或いはマゾヒズムを刺激する作品や、近親相姦を連想させるもの、整体・あんまと称して性行為に及ぶものや、異性の排泄物を口飲するもの、特に女性の胸、脚、その他女性の下着の汚染度合いや汗や膣液など、ある特定の部位について執着したものや、同性愛の性交渉、獣姦といったものまで、多分その他にも数限りなくバリエーションに富んでいるのであろう、様々な製品がこの日本では販売されている。

モザイクさえ掛ければ。などと言わんばかりの豊富なラインナップである。我が国の性風俗は、特にAV業界にあっては、モザイクありきで成り立っていると言っても過言ではない。仮にモザイクが無ければ、ここまで様々な性的嗜好を探求した作品は出てこなかっただろう。

そして、このような「隠す」といった行為と、それを「見たい」といった行為を、最も危険な形で尚且つ変態極まりない形で、現実世界で具現化されたものが、集団ストーカーによる覗き行為、犯罪行為なのである。

つづく