集団ストーカー被害者の「力」とは

集団ストーカー被害者というか、集団ストーカー善意の被害者の「力」は、

・何事に対しても真面目に真摯に
・誰に対しても謙虚に
・悪意を伴った言動・行動はせず
・基本善意で、考え付く最善の方法で人に接し
・決して人の心情を裏切らず

という、上記の基本的なしっかりとした土台があった始めて為し得るものであると現段階の私としては確信するものである。検証など出来ないので今ここでハッキリと断定はできないが、少なくとも私の集スト被害歴20年以上の経験から、とりあえず私の主観的な確信事項として述べさせて頂いた次第である。

ご承知のとおり、集スト加害者というのは悪意の固まりのような最悪の人間性を有しており、しかも極めて自分勝手でありながら、更にはその自らの悪行を無理からに他人と共有して自己正当化しようとするなどと、こんな人間性を有した者を、「いや、別に大したこと無いじゃん」などと一蹴する人間は、まぁそれはそれで良いとして、というか勝手に最悪の人間性で突っ走って自滅してくれといった所に過ぎないが、というか自滅させる方向に持って行くのが、まさに集スト善意の被害者の力というか、必然的にそうなるというか、ね。

加害者は臆病で、悪意があって、自分勝手で、恥を欠くことを異常に恐れ、偉い人には弱いが自分が逆の立場になったら強く出ようとする最悪の内弁慶なところといい、本人の前では何も言えず、陰口を他人と共有して自己顕示欲を図る情けない人間なので、とにかく、被害者はというか集スト善意の被害者は、加害者に行動のその逆を徹底的に行けば良いということになり、とにかく公になることを
勿論加害者は恐れているので、それは自分が恥を欠きたくないからと、自分が怒られるのがイヤだからに過ぎず、自分の自己責任もロクに取れない人間が、よくまぁ加害行為を仕掛けることができるものだと。まぁだから加害者なんだろうが。

とにかく加害者にできないことを徹底的にやる。

例えば、今日・明日にでも仕事を辞めるような状況であっても、仕事をいい加減にしない。最後の最後の一秒まで徹底的に真摯に取り組む必要がある。その日に新しいことを憶える必要があっても徹底してやる。この姿勢は加害者には絶対に出来ない。
例えば、ハタチ以下の子供は別にして、相手がどのような人間に対しても態度を変えてはならない。どうしようも無い内弁慶の加害者にはこれは絶対に出来ない。
例えば、人の悪口の話になったら目を瞑って5秒ぐらいして「あ、私はその話は結構です」と言いつつその場を去る。人の悪口で自分の自己顕示欲を充たそうとする加害者には、絶対に出来ない行為である。
例えば、怒られることを躊躇しない。人が怒っているということは不満を訴えているからであって、その解決策を提示すれば良いだけである。ところが人は何故怒るのか、お客様は何故怒っているのか、その本質を探ろうともせず、ただただ「自分が怒られた」ことだけを恥と思い、その怒られてイヤな思いをした感情と恥をかいた苦渋を他人にというか、立場の弱い人間に与えてほくそ笑む加害者には、人が本当に何を求めているのか分からない、分かろうともしない、ただただ自分勝手だからである。
例えば、恥をかくことを恐れない。人間誰しも恥をかくことを恐れているものであるが、長年集ストを受けている善意の被害者あれば、恥とは何かは既にご承知のことと思う。イヤな思いは誰だってしたくはないものである。しかしそれを率先して行なう姿勢こそが、被害者に求められるのだ。また、これは同時に加害者に甚大な恥をかかせることに繋がることをご承知頂きたい。

ダメだと思ったら直ぐに去る。
類は友を呼ぶ。これは至言である。とにかく数ヶ月は頑張ってみること。それでダメだと思ったら、自分の中にまだ悪意があるということである。であれば潔く去るのみ。

そして、想念を徹底的に飛ばす。
そう、これが「力」なのだ。