資格が無い

物事の道理というか、礼儀として、人に何かモノを申す時は、自らがそれに対する言い分と立場と立ち位置を示さないことには、ただの一方通行的な批判、いや、愚痴で終わってしまう、要するに、何か言う時にはそれ相応の資格が必要なのである。

私はことある毎に隠蔽非処女を批判してきたが、いや、別に批判はしてはいない、私の思うところをそのまま述べているに過ぎないが、ともかく、じゃあ私は、その隠蔽非処女に対して、そのモノを申す、その資格があるか否かということである。

隠蔽非処女が嫌だ!!と心の底から言う資格。
公然と言える資格。

「あ、なるほどね。」

などと納得させる、隠蔽非処女のみならず、他者をも認めさせる資格が私には無い。そりゃ集ストに遭遇してきたわけですから・・・云々などと、それも確かに資格の一つだろうが、それでは弱い。弱すぎる。いや、私は童貞ですから・・・云々などと、それも弱い。

心の底から認めさせなければならない。
これは徹底してやる必要がある。

隠蔽非処女の嫌がること、要するに加害者の嫌がることとは何か。
それは重大な物事を隠蔽するという行為に走る人間にとって、少なくとも、今を生きるこの現世に於いて、最も忌み嫌うこと。

それは資格を持った人間が、正々堂々とすることに他ならない。
他者をも巻き込んで、私自身が毅然とすることに他ならない。
それが隠蔽非処女というか、加害者に対して、毅然として厳正とすることに他ならない。

ところが、今の私にはその資格が無いのだ。