そうか? ないだろ

で、しつこいようだが、更に創価学会のことであるが、というか、今日たまたま帰りの電車の中で明らかに創価学会信者と思われる女性、非常に熱心に聖教新聞を読んでいた永田洋子氏に何処となく似た女性が居たもんで、ついこないだ創価学会について書いたことの因果かと思いながらも、私はその女性をチラチラ見てしまったのであるが、まぁ何と言うか、2chを代表するネットの情報にしても、この集団ストーカー加害者の筆頭ということで、こと或る毎に創価学会の名が挙がっているが、やはり私の考えとしては、「無い」と断言したい。

というか、この状況で、もし創価ではなかったら、一体誰がどう責任を取るというのか。

言うだけ言って、疑うだけ疑って、何の証拠も無いのに、しかも心で思っているだけであればまだしも、名指しで批判して何も知らない所謂善意の第三者たる一般人に吹聴し、これでこの被害の全容が解明される時が来て、創価学会が関与していないと判明した場合に、「実は創価ではありませんでした」などと、一体どの面下げて云うというのか。

あの人たちは真面目である。

いや、確かに規模が大きくなればなる程、というか、人にも色々居るから、その性格・人格を制御できない者も少なからず存在する可能性はある。しかし、そんな人間は、何食わぬ顔して教義など説いてはならないし、そもそもそんなことをすれば、自分がどのような状況に陥るか心底、それこそ心底理解している筈である。

無い。
断言したい。

仮に、もし関与していることが判明した場合であっても、その段階で対処すればよい。
それでも十分間に合う。

人に悪意を振り向けたらどうなるか。
バチが当たるようなことをすればどうなるか。

それは、彼ら彼女らが一番知っていることなのだ。
だから、悪意なる加担者としての創価学会の集団ストーカーへの関連性は無いと断言するものである。

だが、というか、従って、創価学会と集団ストーカー「現象」との関連性については、無いとは言い切れない。
それは、随分前に書いた、創価学会に所属する信者は集スト善意の素養がある人が多いのではないかという考えから来ているのであるが、彼らが飛ばす想念が悪意ではない、むしろ善意のものである場合、知らず知らずの内に他の人間に伝播し、悪意ある人間、悪意ある行動等が炙り出されている可能性があるということである。

それを以って被害と言っている場合が多い。恐らく。

一先ず、創価学会についての私の意見は終わり。

創価学会の関与は無い」
あるのは、彼ら彼女らの想念のみだ。