嬉しくも無い誕生日

で、本日を以って私は44歳になったわけだ。
三島の44歳童貞など、この童貞は一体いつまで続くというのか。
まぁ尤も、心から納得できる人と互いの破瓜を実現しない限りは、別に童貞なら童貞で、このまま童貞で息絶えてしまっても構わないしね。

「まだ分からない」のだから、それならそれで仮に死ぬまで童貞であっても別にどうでもいいのであるが、というか、いや、まぁなんつーか、もう44歳かと。

で、先日紹介した以前に記載していたブログ「集団ストーカーと三島の記録」以外にも、実は過去に幾つかブログを記載していた経緯がある。「集団ストーカーと三島の記録」の公開を終了させた2006年末から、現在のブログである「【再生】」の記載開始2011年3月までの5年余りの間に、複数のダミーブログを公開していたのだが、その内の一つに当時41歳になった心の吐露を記載したものがあったので載せてみよう。

まぁ、画面ショットにすると何が書かれているか分からないので、以下に全文を掲載する。

※以下罫線枠内ボールド体

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一休と遊郭と童貞と

とうとうこの日が来ちゃったね。もう嬉しくとも何とも無い、誕生日。
41歳だって。な〜んもしないで、41歳になっちゃったよ。てな感じでね。
で、41歳はともかくとして、この11月21日というのは、あの有名な一休宗純の命日でもあって、まぁ俺としては一休さんは尊敬する人なので、なんつーか光栄というかね。だから、この11月21日にちなんで、「一休と遊郭と童貞と」と題して何か書くとか、そんなことを確か前に言ってたので、書こうかと思ったんだけどね。
書けんね。高尚なことは書けんね。難し過ぎて、ちょっと俺には無理。つーか、元々そんな事を書く能力なんてねーし。だから、その場で思いついたことを、てきとーに書く。尊敬する人のことを適当に書くなんて、バチが当たるかも知らんが、別に一休さん、あなたのことをけなすわけではないんでね。許してね♪

一休さんは元々すんげー高尚な坊主だったらしいんだが、つーか、高尚な寺の坊主で、高尚であるが故に、その世界というか業界では、権威だとか賄賂だとかがはびこっていて、それがイヤで寺を出た。人に道を教える坊主が、権威だとか金だとか、そんな欲出してどーすんだと、思ったのかも知んないね。元々この一休さん、すんげー欲の無い人で、でも、分けの分かんないこと喋ったり、坊主としては禁じられている飲酒とか、女買ったりとかしてたらしいんだけど。特に一休さん遊郭通いは有名で、要するに今の風俗なんだけど、どうして遊郭に通っていたのかと。まぁ彼が亡くなる88歳の晩年10年は盲目の女と一緒だったらしいんだけど、ちなみに彼女は商売女ではない。問題は盲目だったということね。

で、俺の推測は、こうね。
あの人はもしかしたら、人の心が読めてしまっていたのではないかと。

彼は若くして、悟りを開いて寺を飛び出してしまったんだけど、その段階で人の心が読めてしまっていたのかも知れない。高尚なる修行僧は通常では考えられない、とんでも無い能力を持っている人が居るなどと、それは今でもそうらしいんだけど。一休さん、読めちゃってた。多分。だから元々居た寺の同僚の奴らの腹黒さに嫌気が指して「やってらんねー」とか思って飛び出した。そんで飛び出したのはいいけど、世俗は世俗で、欲の塊みたいな奴らばっかりで、つーか、だから世俗なんだけど、「んーだよ、もー」とか思いながらも、意外と心が綺麗だと感じたのは遊郭の女だったと。要するに、金とか地位とか土地とか、相手に何かとかこつけて、「やらせる」「やらせねー」とか、そんなくだらん駆け引きなんかで自分の身体を利用しない、早い話が欲が無くて自分と対等の立場で相手ができるみたいなね。まぁ尤も、遊郭には心の荒んだ女や、生い立ちが不幸な女が多いだろうから、何らかの話し相手をしてたのかもしれないね。分けの分かんないことを喋って。そんで、てきとーにマンコ拝ませて貰ってたと。ただ、あの頃の文化は夜這いが当たり前でもあったので、何とも言えないけどね。まぁ推測だ。許せ。で、晩年、盲目の女と知り合って、10年位一緒に暮らしたらしい。彼女は遊郭の女ではないんだけど、盲目であるが故に欲が余り存在せず、一休としては自分とインスピレーションが合ったと判断して、一緒になったのかも知んねーなと。

彼が何処まで人の心が読めてしまったのかは定かではない。道行く人々の声が常に聞こえた状態だったのか、それとも、何らかのふとした拍子に聞こえるような、そんな状態だったのかも知れないしね。そんなことが出来ちゃうと、それはもう既に人間じゃないし。人間としての一つの機能、「人の心が読めない」が欠落している、まぁ変態なわけだw な〜んて、すげー勝手なこと書いてるw まぁ尤も、そもそもこれは俺の推測のオナニー駄文だしねw

ただね、人間は肉体を持っている以上、欲があって当たり前というかね。欲があってこそ人間というかね。じゃないと何で、肉体を持ってわざわざ人間として生まれてきたのか分かんねーし。この肉体があるからこそ、この肉体を駆使して生きていかなきゃなんねーわけで。欲を否定することは、人間そのものの存在、生きる価値そのものを否定する事にもつながるわけでね。しかし、肉体に支配され過ぎるのも、それこそ問題なんだけど。

一休みたいな生き方、尊敬はするけど、やっぱり俺には出来そうもないね。

つーかね、一休さんは、高尚な僧侶でありながら、酒飲んだり女買ったり肉食ったり、そんな人間としての本来持てる欲をそのままストレートに出したからこそ、庶民に愛されて、その影響大だったわけで、俺の言っていることは全く逆にもなってしまうんだがね。

あはは。
何だか、分け分かんなくなってきたな。
ま、ただのオナニーだ。
許せw

でも、真相はどうなんだろうね。個人的にすんげー気になる。

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う〜ん・・・
こんなことを3年前の誕生日に記載していたわけだ。漠然と尊敬する一休について書いたことは記憶にあるが、こんなことを書いていたわけだね。
なんつーか、恥ずかしいね。
別に酷いとは思わないが、訳も無く恥ずかしい。
これ、20年後、30年後に読み返した時はどう感じるのだろうか。

思えば当時は、「現象」被害と「人為的」被害の合わせ業が酷かった。特に上記ブログを記載した、というか2010年の41歳の誕生日を境にして年末までは酷かったものだが、今にして思えばこの当時のブログがある限り、このあくまでも私の「集団ストーカー被害者としての様々な立場」が証明できるというものである。

随分前にも書いたことかも知れないが、ダミーブログを公開する必要性、そしてそれを残しておく必要性は、「人為的」集団ストーカー被害に遭遇している人には必須事項である。

この点については、近い内に書こうと思う。



つーか、44歳か・・・