これが私の生きる道

これからの人生、私に残されたこの肉体寿命は何年か分からないが、まぁ私の尊敬する一休が88歳まで生きたので、それを一先ずのリミットとすると丁度折り返しの地点に今来ているわけで、まぁキリが良いというか何というか、これまでは与えられた人生だったが、これから与えて差し上げる人生ということで、全身全霊を込め、精一杯与える人生を全うして行こうと思っている。というか、行くべきであり、行かなければならない、これはやはり義務なのだ。

特に私の加害者に対しては、私の考え得る限りの「与え」を行わなければならず、例えば非処女に対しては貞操観念発言の実践、社会に対しては人倫の実践、あるべき物事をことごとく糺す方向に導くべく、この「与え」は、私が今まで受けてきた、というか与えられてきた

前提因果の応報の実践

ということになる。
私は今の今まで与えられ過ぎたのだ。にもかかわらず何の与えも行わず、いや、もしかしたらしていたのかも知れないが、その自覚も無く、ただ、与えられたことに対して、自分の中で無理に消化していた、与えられたその前提因果を自分の中で別の何かに無理繰り変化させていた、というか、早い話が愚弄していたのである。

こんな情けない行動を取っていたから、加害者も怒っていたのだろう。私は今までことある毎に加害者を情けないと言ってきたが、そうではない。加害者こそが情けない被害者であるこの私の目を覚まさせようとしてくれていたのだ。

この蓄積された前提因果に対し、私は心の底から感謝を込めてお返しをして差し上げなければならない。
私に残されたこの肉体寿命は、加害者に対する前提因果の応報の実践に伴って世の中に貢献すること、

徹底した顧客満足度を図ることにあるのだ。